徳川宗家19代当主として家督を継いだ徳川家広さんですが、息子や後継者はいるのでしょうか?
もし徳川家広さんが亡くなられた場合には徳川宗家19代当主までで、徳川家康の子孫は途絶えてしまうのか調査しました。
この記事でわかること
- 徳川家広家系図
- 徳川家広の息子や後継者はいる?
徳川家広家系図
徳川家広さんの上記家系図はWikipediaに掲載されていました。
徳川宗家第18代当主である徳川家広さんの父・徳川恆孝さんは、元日本郵船副社長で徳川記念財団初代理事長です。
徳川家広さんは血脈上では幕末の大名・松平容保の男系玄孫にあたります。
また、水戸徳川家の祖である常陸水戸藩の初代藩主・頼房の長男で、江戸時代前期の大名の松平頼重の男系子孫です。
他にも祖父の祖父(高祖父)には偉大な方も多く、徳川家広さんは以下の玄孫の関係になります。
- 徳川家達(とくがわ いえさと)
徳川宗家第16代当主で、日本の政治家。 - 島津忠義(しまづ ただよし)
江戸時代後期(幕末)から明治時代の大名であり、華族。薩摩藩最後となる12代藩主で、島津氏29代当主。 - 鍋島直大(なべしま なおひろ)
江戸時代末期(幕末)の大名で、明治時代と大正時代の政治家でもあり外交官。肥前佐賀藩最後の第11代藩主。 - 池田詮政(いけだ のりまさ)
旧岡山藩池田家第13代当主。 - 寺島宗則(てらしま むねのり)
日本の政治家で、日本の電気通信の父と呼ばれる。第4代外務卿として活躍。
さらに祖父の祖父(高祖父)の父にあたる以下の方の来孫でもあります。
- 島津久光(しまづ ひさみつ)
江戸時代末期から明治時代初期の大名であり、政治家。 - 鍋島閑叟(なべしま なおまさ)
江戸時代末期の大名で、肥前佐賀藩10代藩主。
主に江戸時代の後期(幕末期)に活躍したそうそうたる人物との血縁関係が分かりますね。
徳川家広の息子や後継者はいる?
徳川家康を初代とする徳川宗家では、60年間にわたって18代当主を務めた徳川恒孝さん(82)が高齢などを理由に退き、長男の家広さん(57)が19代当主となりました。
式典には、徳川家の関係者など400人余りが参列しました。https://t.co/Dux8gHqhA7#nhk_video pic.twitter.com/WPr21tZy9G
— NHKニュース (@nhk_news) January 29, 2023
徳川家広さんはご結婚されていますが、後継者となる息子(子供)はいらっしゃいません。
では、徳川宗家19代目当主である徳川家広さんの19代目で途絶えてしまうのかというとその可能性は低いです。
というのも、実は徳川家広さんの父・徳川恆孝さんは会津松平家から徳川宗家に養子に入られた方だからです。
もし今後、徳川家広さんに息子が生まれなかったとしても、徳川家康の男系の子孫である他の徳川家や、父・徳川恆孝さんと同じく松平家から養子が入る可能性があります。
なので、代々続く徳川将軍家が途絶えてしまう可能性は低く、後継者がいなくなる可能性も低いと考えられます。
【徳川家広家系図】息子や後継者はいる?家康の子孫は19代で途絶える?のまとめ
徳川宗家19代当主として家督を継いだ徳川家広さんの家系図を見てみると、そうそうたる人物がいらっしゃいました。
現在、徳川家広さんに後継者となる息子は、いらっしゃいません。
後継者がいなくて、家康の子孫は19代目で途絶えるのかと注目しましたが、養子が入る可能性ありますね。
徳川家広さんの父・徳川恆孝さんも、会津松平家から徳川宗家に養子に入られた方なので、19代以降も養子が入る可能性はありそうです。
どうしても後継者がいなくて、存続することが出来なければ断絶することもあり得ます。
しかし、明治の時点で、徳川家は九家ありましたので、血縁関係のある男子が誕生した際には復活することもあり得ますね。
徳川家広さんの詳しいプロフィールや奥様についてもまとめています。
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